2025.08.14
法を使って、人と技術に誠実に向き合う – 知財×ライフサイエンス・ヘルスケア分野で培った“現場感覚”を胸に

オンコロジー治療薬、コロナワクチン——社会に大きなインパクトを与える革新的な技術の裏側には、複雑に絡み合った知的財産権や規制の存在があります。職人気質の祖父と父が働く大阪の町工場で育った美馬拓也弁護士にとって、「技術を法律で守る」という発想は、幼い頃の原体験に根ざしたものでした。
知的財産とライフサイエンス・ヘルスケア分野を軸に、企業の実務現場に深く入り込みながら法務サービスを提供してきた美馬弁護士。東京国際法律事務所(以下、TKI)で新たなステージに立つ今、その根底にある価値観と、“現場感覚”に根ざした誠実な仕事への姿勢についてお話を伺いました。
「技術・アイデア」への敬意から始まった弁護士への道
美馬弁護士のルーツでもある、ご実家の町工場での経験について教えてください。
実家は大阪市内で精密板金業を営んでいました。鉄板を曲げたり溶接したりして、少し複雑な鉄製品を作る町工場です。祖父の代には、病院で使う試験器具や医療器具などを消毒する煮沸機器や照明器具が主力商品で、実用新案を取得するなど、自分たちの技術を信じて前向きに事業に取り組んでいました。そのおかげで一時は職人を数人抱えるまでに成長したのですが、父の代になると、海外製品との価格競争や規制の変化など外部環境が大きく変わったこともあり、事業は徐々に縮小を余儀なくされ、残念ながら廃業という形になりました。
そうした変化を間近でご覧になって、どのようなことを感じられましたか?
祖父や父の姿を見て、「手に職を持つこと」「競争力のある技術」がいかに大切かを痛感しました。確かな技術を持ち、それを活かして良い製品を作る。これは、実家の事業から学んだ大きな教訓です。また、母方の祖父から伝えられた「頭の中に入れたものは盗まれない」という言葉も印象に残っています。
職人とは異なる形ではありますが、資格を取るということにも、確かな技術を身につけるという点で通じるものがある。そう感じたことが、弁護士を志すきっかけの一つになりました。
関西で築いた弁護士の礎と、成長を求めた東京への挑戦
そして、関西の大手法律事務所で弁護士としてのキャリアをスタートされました。
生まれ育った関西の地域社会に貢献したいという思いが強く、企業法務に注力している法律事務所を志望しました。特に印象深いのは、創業者の一人である佐伯照道弁護士との仕事です。弁護士1年目だった私は、佐伯弁護士とペアを組み、建物明渡実現のために、訴訟提起から執行に至るまで一貫して関与する不動産案件を担当しました。経験豊富な弁護士と二人三脚で業務を進めるなかで、目の前の一つひとつの業務に誠実かつ丁寧に向き合うことの大切さを学びました。

クライアントの前に立つ以上、ベテランであっても新人であっても、一人の弁護士として見られる——その責任を自覚し、専門家として真摯に仕事に取り組む姿勢の積み重ねこそが、信頼の礎になる。この学びが、私の弁護士像の原点となっています。
同事務所では、外資系製薬企業への出向を経験されていますね。
もともと、企業への出向は経験したいと考えていました。企業という組織がどのように機能し、そのなかで法務部門がどのような役割を担っているのかを肌で感じる経験は代えがたく、内部の視点から理解したかったためです。
なかでも、ライフサイエンス・ヘルスケア分野には強い関心がありました。知財という自分の関心分野と、社会的貢献という価値が高度に結びついている領域であると感じていたからです。加えて、大阪は道修町を中心に製薬企業が集積し、ライフサイエンス産業が盛んな地域。そうした企業が大阪の経済を支えているという実感も、関心を後押ししました。
実際に出向されてみていかがでしたか?
非常に刺激的でした。ライフサイエンス・ヘルスケア分野では単にコストや効率を追うのではなく、安全性の確保やプロセスの厳格な管理、そしてコンプライアンスの遵守がいかに重視されているかを、現場の声から学びました。法務の枠を超えた視点を得たことで、現場とのより実践的なコミュニケーションが可能になったと感じています。
また、社員の多くが中途採用で多様なバックグラウンドを持ち、それぞれが過去の経験や専門性を活かして価値を創出することに貪欲でした。一人ひとりに大きな裁量と責任が与えられ、主体性を持って業務に取り組む文化が根付いていたのです。こうした環境に身を置いたことで、さらなる専門性の研鑽と成長を求めて東京の大手法律事務所に移籍することを決意しました。
「弁護士」の肩書きを越え、チームの一員として課題解決に挑む
東京の大手法律事務所へ移籍後、美馬弁護士のなかでどのような変化がありましたか?

すべてがカルチャーショックでした。業務の進め方から個々の作業の精密さやスピード感まで、従来の環境とは大きく異なっており、まさにボディブローを浴び続けているような毎日でした。しかし、そのなかでプロフェッショナルとしての基準が一気に引き上げられたと感じています。この経験は、現在の業務における品質や意識にも直結しています。関西の法律事務所で理想的な弁護士像を学んだとすれば、同事務所では実務のスキルを徹底的に鍛錬したという感覚です。
そして、国内大手メーカーの知的財産部へ出向されます。
法務部ではなく、知的財産部への出向は、私にとって特別な意味を持つ経験となりました。私は学生時代から知財に強い関心を持っていましたが、弁護士としてさまざまな案件を扱うなかで、知財業務だけに集中する機会はほとんどありませんでした。同社のような日本のリーディングカンパニーで“知財漬け”の日々を送れることは、願ってもない成長の機会でした。
ここで学んだのは“同じ釜の飯を食う”関係性の大切さです。弁護士という立場で外部から関与するよりも、チームの一員として日常的な課題解決に向き合うほうが、より深いレベルでの協働が可能になると実感しました。
たとえば、契約書のレビューにおいても、ただ条文に赤入れするのではなく、事業部の方々に「何を実現したいのか」「将来的にどのように活用する想定なのか」といった背景を丁寧にヒアリングし、それを踏まえたうえで最適なアドバイスを行う。このようなアプローチは、まさに同じ釜の飯を食う関係性があってこそできることだと痛感しました。
香港の法律事務所への出向経験も印象的だったそうですね。
そうですね。香港では、香港日本人商工会議所のヘルスケア・メディカル委員会の一員として、日本の市販薬(OTC医薬品)の香港での販売規制緩和を香港政府に提言するプロジェクトに携わりました。
日本で長くかつ広く親しまれている風邪薬や胃腸薬は複数の有効成分を組み合わせた複合薬が多く、香港では現地の規制により「新薬」として扱われることになります。これらを香港で製造販売するためには当局の承認が必要となり、そのためには治験の実施が必要となるなど、実質的に高い参入障壁があります。一方で、香港の人々は日本ブランドに対する信頼が高く、訪日の際にいわゆる「神薬」と言われている医薬品を家族のためにドラッグストアで購入して持ち帰る方も少なくないなど、確かな需要があることも把握していました。
こうした現状を踏まえ、薬事規制を調査・分析し、緩和の可能性について検討したうえで、在香港日本国総領事館の協力のもとで、香港政府宛に提言書を提出しました。
一弁護士の調査と提言が、ボーダーを越えて制度に働きかける。まさに、法律の知見を活かして社会に貢献できたと実感した、貴重な経験でした。
ルールだけでなく、現場と心に寄り添う法務を
知財とライフサイエンス・ヘルスケア分野の特殊性や魅力について教えてください。
知財分野には固有の複雑性が内在しています。たとえば特許であれば、クレーム(請求項)によって権利範囲が定まるため、各特許を個別に精緻に読み解く必要があります。著作権については、登録を経ずに自動的に権利が発生するため、その有無や範囲の判断がより複雑になります。こうした個別性の高い権利を丁寧に分析・評価し、状況に応じてカスタマイズされたアドバイスを提供することは、技術や創作の価値を正当に保護し、社会に還元するうえでも重要な役割だと感じています。

ライフサイエンス・ヘルスケア分野にもまた、独自の難しさと魅力があります。規制が頻繁に変化するのが特徴で、新型コロナウイルス感染症の影響でオンライン診療の解禁が促進されたように、予測困難なパラダイムシフトが起こりうる領域です。だからこそ、継続的な学習が必要であり、その姿勢自体が大きなやりがいにつながっています。
加えて、私は知財には、人間的な側面があると考えています。権利の背後には、発明者や創作者の思いがあり、「なぜこの発明をしたのか」「どのような価値を届けたいのか」といった背景を理解することが、的確な助言や支援につながると実感しています。弁護士としての法的思考に加え、事業者の視点や現場感覚を持つことが不可欠な領域です。
専門性を高めるために、日々どのようなことを意識されていますか?
クライアントとの関係構築が最も重要です。関西の法律事務所で学んだように、目の前の案件一つひとつに誠実に取り組むことが、結果として次の依頼や学びにつながる確かな道だと信じています。特に知財やライフサイエンス・ヘルスケアのように、高度かつ厳格な規制が求められる分野においては、日々の業務を着実に遂行することこそが、専門性を深める最も確実な手段であると考えています。
固定観念にとらわれず、専門性と柔軟性の両輪でクライアントに向き合う
TKIに参画された理由をお聞かせください。

関西時代に学んだ理想的な弁護士像が原点にあります。「自分が関与したからこそ良い結果が生まれた」と実感できる瞬間が、私にとって本質的な仕事のやりがいです。
大規模な大手事務所では、複層的な組織のもとで、比較的大きな案件を分業的に縦割りの体制で進めることがあります。そうした環境も非常に意義のあるものですが、私は、案件の規模や組織体制の枠組みにとらわれることなく、柔軟なチームワークのもとで効率的に業務を進めながら真摯に向き合い、最終的にクライアントに満足していただくことを何より大切にしています。
TKIは個々のクライアントに合わせて柔軟に対応できる体制が整っており、組織としての基盤と、弁護士個人の裁量とのバランスが取れた環境にあります。こうした環境であれば、クライアントとの関係において私が理想的だと考える働き方ができると考え、参画を決意しました。
TKIでの今後の構想について教えてください。
TKIはクロスボーダーM&Aに特化した事務所としてスタートしましたが、現在はより幅広い対応力を持つ法律事務所へと発展している段階です。そのなかで「TKIは知財とライフサイエンス・ヘルスケア分野においても高い専門性を持っている」とクライアントから認識されることを、一つの目標としています。
もっとも私自身、知財とライフサイエンス・ヘルスケアのみに特化するというスタンスではありません。これらは確かに私の専門領域の一つですが、常に重視しているのはクライアントのニーズです。大阪で弁護士として活動していた際には、分野を限定せず、クライアントのニーズに応じて幅広い法的サービスを提供してきました。また、現在は特に、日本企業の海外進出に伴う法務支援に携わる機会も多く、現地法規制の調査や契約交渉、現地パートナーとの連携支援など、進出にまつわる幅広い業務に対応しています。
最後に、5年後、10年後を見据えた美馬弁護士のビジョンについてお聞かせください。
私が目指しているのは、「弁護士」という資格や肩書に固執せず、より積極的かつ柔軟にプロジェクトに参画し、チームの一員としてクライアントに実質的な価値を提供できる存在であり続けることです。一方で、多様なクライアントとの業務を通じて幅広い知見を得られることは、弁護士という仕事の大きな魅力でもあります。
インハウスと外部弁護士、それぞれの強みをバランスよく活かしながら、クライアントの課題に最適な形で貢献できる、新しい弁護士像を模索していきたいです。時代の変化に応じて、弁護士という資格を持つ者として何ができるのか。その問いを持ち続けながら、自らの在り方を進化させていきたいと思っています。
(取材・文:周藤 瞳美、写真:岩田 伸久)