【コラム】 インド裁判所は仲裁判断を変更できる場合がある ― 日本企業が知っておくべきこと―
【イントロダクション】
インド企業との間で契約を締結したり、インドでの合弁事業やプロジェクトに投資したりして、仲裁地をインドと定めている日本企業にとって、インド最高裁判所の最近の判決(Gayatri Balasamy v. ISG Novasoft Technologies Ltd. (2025 SCC Online SC 986)は、インドの仲裁制度における重要な転換点となります。
これまで、インド裁判所は1996年仲裁・調停法(Arbitration and Conciliation Act, 1996、以下「インド仲裁法」)第34条に基づき、仲裁判断を取り消す限定的な権限のみを有すると解されてきました。しかし、Gayatri Balasamy判決はこの解釈を拡張し、一定の場合には、裁判所が仲裁判断を単に取り消すだけでなく、変更(modify)することができると判示しました。
この変化は、交渉や契約書作成の観点から極めて重要です。多くの日印間契約では、仲裁地としてインドが選択されたり、インド仲裁法のPart Iが適用されたりしていますが、これは、ひな形の仲裁条項を使用したり、外国仲裁地を定める際にインド仲裁法のPart Iの適用を明示的に除外しなかったりすることで、意図せずそのようになっていることがあります。
仮に、インド仲裁法のPart Iを明示的に除外していなかった場合、Gayatri Balasamy判決に基づき、インド裁判所の拡張された管轄が適用されます。その結果、裁判所が仲裁判断後、金額や利息を変更したり、判断の一部を切り離したりする可能性があります。これは、日本企業などの外国当事者が仲裁を選択する際、通常、期待する判断の確定性や手続の予見可能性を変えてしまう可能性があります。
したがって、日本企業が契約書を作成する際には、以下の点を明確に記載することがより重要になっています。
- 仲裁地(単なる開催地ではなく)を明確に記載すること
- 外国を仲裁地に選ぶ場合は、インド仲裁法Part Iの適用を明示的に除外すること
- 仲裁条項と準拠法条項の整合が取れており、意図せずインド裁判所の管轄が及ぶことを回避すること
これらの対応を怠ると、仲裁手続がGayatri Balasamy判決の射程に入ることとなり、当事者が仲裁によって確定的かつ拘束力のある解決を意図していた場合であっても、仲裁判断が裁判所による変更や司法的介入の対象となる可能性があります。
【判決の主要なポイント】
最高裁は4対1の多数意見により、インド仲裁法第34条及び第37条に基づき、裁判所には仲裁判断を限定的に変更できる権限(limited power to modify)があると判断しました。
- 裁判所は次の場合に仲裁判断を変更できるとしました。
ー 仲裁判断の一部が分離可能である場合(すなわち、判断の一部が仲裁機関の権限範囲を超えている場合)で、無効部分のみを切り離し、残余部分をそのまま維持することができる場合
ー 仲裁判断に、実体審理を要しない明白な事務的な誤記や計算上の誤りが存在する場合
ー 仲裁判断後の利息(又はその他の付随する金額)が明らかに不合理であり、契約上又は法令上の基準から逸脱しており、裁判所が利息部分を調整し得る場合
ー 極めて例外的な事案において、インド憲法第142条に基づく「完全な正義(complete justice)」を実現するために、最高裁が仲裁判断の変更を行う場合(但し、これは極めて限定的かつ慎重に行使されるべきものとされています。)
- なお、これらの権限は限定的であり、仲裁判断を再審理したり、事実認定を再評価したりする一般的な控訴権ではないことが強調されています。
【インドで事業を行う日本企業及び日印契約における意義】
- インド法及びインドを仲裁地とする仲裁を用いて、インド企業(又はインド子会社との合弁会社)と契約する日本企業にとっては、紛争解決条項が、この司法上の展開を見越した内容となっている必要があることを意味しており、仲裁地をインドとするか、国際仲裁地とするかを含め、仲裁戦略を慎重に管理すること、さらに、契約が利息、請求の分離可能性、仲裁に付す争点の明確な定め(分離可能性の問題のリスクを減らすため)を扱っているかどうか見直すことを意味しています。
- 特に、インド側の当事者が金額や利息を争点とする可能性のある、供給契約、サービス契約、合弁契約、EPC/建設契約においては、本判決により、裁判所が再仲裁を命じるのではなく、明白な誤りの訂正に前向きになる可能性を示唆しています。これは、場合によっては、費用や時間を削減できる場合がある一方で、最終的な金額に不確実性を生じさせます。対応策としては、関連する仲裁機関規則や仲裁地の仲裁法において、明白な誤記や計算の誤りの訂正を認めている仲裁機関や仲裁地を選択することが考えられ、これにより、日本企業がこれらの誤りについてまずインド裁判所で対応・訂正を求める必要がなくなり、日本企業に追加の費用が発生することを防ぐことができます。
- 日本企業は、インドでの仲裁リスクを評価する際、今回の変化を組み込む必要があります。仲裁判断の執行までの期間が延びる可能性があるほか、管轄、仲裁地、準拠法、利息条項、分離条項の慎重な設計の必要性がこれまで以上に高まっており、インド仲裁法第34条申立て(及び変更申立て)に関する動向を注視することが賢明です。
- インドで下された仲裁判断の執行(又はニューヨーク条約に基づくインドを仲裁地とする仲裁判断の海外での執行)に依拠する当事者にとっては、新たな潜在リスクがあります。すなわち、執行を争う相手方が、その仲裁判断が変更の対象となり得ると主張したり、執行の停止を求めたりする可能性があります。
【結論】
インドで事業を展開している、又はインド企業と提携している日本企業にとって、本判決はインドの仲裁法が依然として発展途上にあることを示しています。日本企業の法務部門は、この新たな司法介入の可能性を踏まえて仲裁戦略を見直す必要があります。
Gayatri Balasamy判決はインド仲裁法理の重要な発展を示しています。これは、仲裁が依然として強固な紛争解決手段であり続けている一方で、インドにおいては仲裁判断の確定性という概念が、インドではもはや絶対的に不可侵のものではないことを意味しています。裁判所は、限定的ながら仲裁判断を変更できることとなりました。日本企業においては、この変化を見越し、契約条項の見直し、仲裁判断を明確かつ疑義のない内容に保ち、異議申立て・執行戦略を管理し、これをリスク評価へ反映させることが重要です。これらを適切に行うことで、日本企業はインドにおける紛争発生時のリスクを最小化し、予測可能性を最大化することができます。
※本記事の内容は、一般的な情報提供であり、具体的な法的又は税務アドバイスではありません。
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東京国際法律事務所
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