【コラム】AI生成文書と秘匿特権 ── Heppner事件のインパクト
AIとビジネス〜M&Aで気を付けるべきポイント〜
Executive Summary, Key Questions (FAQ) / 要約(クリックで開く)
- 「ワークプロダクト法理(Work product doctrine)」とは何か?
― 訴訟などの法的紛争を予期して、弁護士または依頼者が作成した文書や資料(作業成果物)を、相手方への開示義務から保護する法理のことです 。弁護士・依頼者間秘匿特権が「通信の内容」を保護するのに対し、ワークプロダクト法理は「弁護士が訴訟準備のために準備した戦略や分析」を保護することに主眼を置いています 。 - AIが生成した文書に「弁護士・依頼者間秘匿特権(Attorney-client privilege)」は適用されるか?
― 原則として、弁護士の関与なく一般向けAIツールで作成された文書には適用されません 。米国ニューヨーク南部地区連邦地裁(Heppner事件)は、AIは弁護士ではなく、法的助言取得目的での使用ではないこと、および一般向けツールのプライバシーポリシーではデータの収集や第三者開示の権限が留保されており、秘密性への合理的期待が認められないことを理由に、特権による保護を否定しました 。 - ワークプロダクト法理(弁護士作成文書等の保護)による秘匿は認められるか?
― 弁護士の指示や関与がなく、ユーザーが自らの判断でAIを使用して作成した文書は、ワークプロダクト法理の対象外となるリスクが高いといえます 。Heppner事件の判決では、AIツールが弁護士の指示のもとで機能していれば結論が異なっていた可能性が示唆されており、作成段階からの弁護士の関与が不可欠です 。 - AIで作成した文書を、後から弁護士に共有すれば秘匿特権で保護されるか?
― いいえ、遡及的に保護を受けることはできません 。秘匿特権の適用可否は、あくまで文書の「作成時」の状況や目的で評価されます。作成時に秘匿性のないAIツールを利用していた場合、その後に弁護士へ送付したとしても、証拠開示請求(ディスカバリー)の対象となるリスクを排除できません 。 - M&Aデューデリジェンス(DD)において、AI利用が問題となる具体的な場面は?
― 法務以外の関係者が、弁護士の関与なくAIを用いて「対象会社の法的リスクサマリー」や「契約レビューのフラグ立て」などを行う場面が該当します 。これらのAI生成文書は特権の枠組みから外れる可能性があり、将来的な訴訟や規制当局による調査において、自社の法的脆弱性を示す証拠として開示を強制されるおそれがあります 。 - AI時代のM&A実務において、企業が講じるべきガバナンス対策は何ですか?
― 主に以下の3点が重要です:
1. 法的要素を含む分析にAIを使用する際は、最初から弁護士を関与させ、
弁護士の指示に基づくワークフローを整えること 。
2. 機密保持が保証されたエンタープライズ版AIを利用し、関与者に一般向けAIを使わせないよう徹底すること 。
3. NDAやLOI等の取引書面において、AI利用の条件や秘匿性に関するガバナンス規定を明示的に定めておくことです 。
はじめに
本記事では、AIツールが生成した文書について、弁護士・依頼者間秘匿特権(attorney-client privilege)およびワークプロダクト法理(work product doctrine)が適用されるか否かについて一定の評価を示した米国裁判所の判断(Heppner事件)を踏まえ、これらの法理の基本に立ち返り、特にM&Aの文脈で、AIツールの利用を前提としたビジネス及び法務の留意点について考察します。
1. 背景:United States v. Heppner事件
米国ニューヨーク南部地区連邦地方裁判所において、Jed S. Rakoff判事は、被告人が一般向けAIツールを用いて作成した文書は、弁護士・依頼者間秘匿特権(attorney-client privilege)およびワークプロダクト法理(work product doctrine)のいずれによっても保護されないと判示しました。
本件は、FBI捜査官が刑事事件の被告であるHeppnerの自宅で捜索令状を執行し、31件のAI生成文書を含む電子機器を押収したところ、被告の弁護人が、(a)弁護士・依頼者間秘匿特権と(b)ワークプロダクト法理を主張して、当該押収を争った(開示拒絶を主張した)事件です。当該文書は、生成当時すでに弁護士を選任していた被告人が、消費者向け(非エンタープライズ版)AIツールを弁護士の指示や関与なしに使用し、弁護士との協議を踏まえた種々の情報を入力して作成し、その後弁護士に共有したものです。
Rakoff判事は上記の主張を却下した上で、判決の傍論として、弁護士の指示のもとで被告にAIツールを使用させていれば——すなわちAIツールが弁護士の指示のもとで機能していれば——結論は異なっていた可能性があると述べています。
判決を決定付けた要素
Rakoff判事の判断では以下の点が考慮されています。
<Attorney-client privilegeによる保護の否定>
(1)AIツールは弁護士ではない
AIツールは弁護士ではなく、AIユーザーとAIツール間のやりとりは依頼者との信頼の上に成り立つ依頼者・弁護士間のやりとりとしての保護が妥当すると評価できない。
(2)秘匿性の欠如——第三者プラットフォームとプライバシーポリシー
被告は公開AIツールとやりとりしていたのであり、当該AIツールを提供しているプラットフォームのプライバシーポリシーでは、ユーザーの入力・出力データを、収集し、モデル学習に使用し、第三者に開示する権限を留保することが明記されていた。したがって、秘密性への合理的期待が認められない。
(3)法的助言を取得する目的のやりとりでもない
被告によるAIツールとのやりとりの目的は、AIツールにおいても法的助言を提供するものではないと使用時に明示されており、法的助言を得るという目的ではなかった。
<Work product doctrineの否定>
また、被告が作成したAI生成文書は、自らの判断で作成されたものであり、弁護士が作成した、または、弁護士の指示・関与の上で作成されたものではなかった。
要点:
弁護士の関与なく、秘匿性のないAIツールで作成したAI生成文書は、弁護士・依頼者間秘匿特権や弁護士作成文書としての保護を受けられない可能性があり、証拠開示請求の対象となるリスクがある。
実務上のポイント:
弁護士からの助言内容を含むものや、事後的に弁護士に送付されたものであっても、秘匿特権の適用対象となるか否かは「作成時」の状況・目的で評価され、遡及的に秘匿特権が付与されることもない。
2. 確認:日本企業が秘匿特権・ワークプロダクト法理を意識しなければならない場面
弁護士・依頼者間秘匿特権(attorney-client privilege)およびワークプロダクト法理(work product doctrine)は、米国・英国をはじめとするコモンロー諸国において、弁護士と依頼者の間の通信や訴訟準備のために作成された文書を、相手方や第三者による開示請求から保護する(開示を拒絶できる)法制度です。日本法には同等の包括的な強制的証拠開示制度はありませんが、M&A案件や競争当局との対応では米国法・英国法等の外国法に準拠する場合もあり、純粋な国内案件においても状況によって、慎重な対応が求められます。
秘匿特権・ワークプロダクト法理が問題となる主な局面
- ① クロスボーダーM&Aのデューデリジェンス
M&Aでは、DDプロセスで作成した法的リスク分析・コンプライアンス評価・契約書レビューにおけるメモ等を作成しますが、これらは、状況によって、相手方や規制当局による開示請求(ディスカバリー等)の対象となりえます。弁護士の指示・監督のもとで作成された文書であれば特権保護の対象となりえますが、AIツールを弁護士の関与なしに使用して作成した文書は、その保護を失うリスクがあります。
- ② 米国・EU等の競争当局(反トラスト)調査
クロスボーダー案件の米国司法省・米国連邦取引委員会・欧州委員会での調査において、これらの機関はディスカバリーや調査権限を通じて広範な文書開示を求める余地があります。なお、日本企業が日本の公正取引委員会への届出・調査に際して特権保護を意識せずに作成・提出した文書は、並行する外国当局の手続における特権の放棄と構成されるおそれがあります。
- ③ 国際仲裁・訴訟
国際商事仲裁(ICC・SIAC・LCIA等)や外国裁判所での訴訟において証拠開示手続が行われる場合、準拠法や仲裁規則等によって特権主張の可否が判断されます。提訴を見越した段階での文書管理が、後の特権主張の成否を左右します。
- ④ 社内調査・不正調査
不正・コンプライアンス問題への対応として実施される社内調査では、調査報告書・インタビューメモ・法的意見書等が、その後の民事訴訟・刑事手続・規制調査で証拠として問題となることがあります。弁護士の指示のもとで調査を実施し文書を作成することが、ワークプロダクト保護の前提となります。
3. M&Aデューデリジェンス:リスクが顕在化する場面
M&Aデューデリジェンス(以下、DD)の文脈では、多数の(法務以外の)関与者が法的評価を含む文書等をレビューし、検討・協議するため、特権の意図せぬ放棄が生じるリスクが高まります。以下の表は、Heppner事件における判断から導かれるリスク考慮事項をDDにおける対応ごとにまとめたものです。なお、これらの適用はあくまでも刑事事件であるHeppner事件での評価を民事、特にM&Aの文脈に当てはめた推論であり、直接の先例があるわけではない点にご留意ください。
| DD の活動 | リスク考慮事項 |
|---|---|
| 対象会社の法的リスクサマリー | 弁護士の関与なく秘匿性のない AI ツールで作成した場合、特権による保護はなく、法的見解が開示対象となるリスクがあります。 |
| 契約レビュー・AI 自動フラグ | 弁護士の関与なく、秘匿性のない AI ツールによるアウトプットの場合、開示対象となる可能性があります。 |
| データルーム Q&A | 弁護士の関与なく、秘匿性のない AI ツールで生成された回答は、特権の枠組みから外れます。 |
| 規制・コンプライアンス評価 | 弁護士の関与なしに規制リスクを(秘匿性のない)AI で分析した場合、開示対象となる可能性があります。 |
| AI の指摘を引用した財務メモ | 弁護士の関与のない財務文書であっても、(秘匿性のない)AI が法的脆弱性を指摘した箇所は、当該指摘を認識した証拠資料として開示対象となり得ます。 |
4. AI時代のM&A実務における留意点
問題点:ガバナンスの空白
多くの組織では、通常のデータ管理ポリシー等は整備されており、さらにAI利用に関するポリシーの整備も進んできています。しかし、具体的な実務、例えばM&Aの検討・DD・社内承認プロセス等の文脈で、誰がどのような条件でAIを使用しているか、実務的な場面を想定して、どのようなAIの使用が問題になるのか、具体的に定めている組織はほとんどありません。
AI利用の過渡期にある現状では、企業向け(秘匿性のある)AIツールの検討・導入が進む一方で、未だ、社内でどのようなAIツールが利用されているかが把握されていない、秘匿性のないAIツールへのアクセス制限など、適切なAIツール利用が管理されていないという状況も見受けられます。法務以外の(社内外を含めた)様々な関係者が関与するM&Aの場面ではなおさらAIガバナンスへの意識が必要となります。特に以下の点は主要な留意点です。
- 法的要素を含む分析にAIを使う前に弁護士を関与させる
弁護士の関与を最初から確立し、AIの使用が秘匿特権の対象となる弁護士・依頼者間通信の一部と評価しうる形を整える、またはワークプロダクト法理による保護のために弁護士の指示に基づくものとなるようにプロンプト等を整える。なお、事後的な弁護士の関与では遡及的に治癒できません。
- 秘匿性保証のあるエンタープライズAIを使用する
一般向けAIプラットフォームでは、通常、ユーザーデータを収集し第三者への開示権限を留保しています。適切な機密保持条件のあるエンタープライズ版を使用すること、さらに、関与者に秘匿性のないAIツールを使用させないことを徹底することで、秘匿性の意図せぬ放棄を防ぐことができます。
- M&A取引(LOI/NDAやDefinitive Agreement等)におけるAIガバナンス規定を整える
社内外問わず、また、法務知識の有無を問わず、様々な関与者が関与するM&A取引では、誰がどのような条件でAIツールを使用できるか、特にAI生成文書の秘匿性及び弁護士の関与性を明示的に定めておくことで、秘匿特権及びワークプロダクトとしての保護の放棄のおそれを低減できます。
- クロスボーダーM&Aでは最も厳しい基準を前提に行動する
複数の競争当局の審査を受けるM&A案件では、一つの当局に対して特権保護が否定された文書は、他の当局への形式的な共有の仕組みいかんにかかわらず、実質的にすべての当局に対しても保護されないと考えるべきです。
5. さいごに
M&A、特にクロスボーダーM&A取引においては、取引検討時だけではなく事後的にも、関連文書の法的保護が問題となり得ます。法務観点では当たり前の留意点も、関与者が多くなると理解不足から意図せぬ法的保護の放棄を生じさせるおそれがあります。AIツールはその利便性から今後もさらに利用が拡大するため、具体的な利用シーン・利用者を想定しての実務対応がより一層重要になります。
当事務所では、AI導入時の検討、利用ポリシーの策定や利用に関する法的トレーニングの実施にとどまらず、M&A取引における具体的なAIガバナンス規定及びその運用に関しても助言を提供しています。ご相談をご希望の場合にはお問い合わせください。
(執筆:石原 尚子)
※本記事の内容は、一般的な情報提供であり、具体的な法的又は税務アドバイスではありません。
ご質問などございましたら、ご遠慮なくご連絡ください。
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東京国際法律事務所
naoko.ishihara@tkilaw.com
石原 尚子弁護士
(日本・米国カリフォルニア州)
米系グローバル・ローファームの東京オフィスで10年以上の経験を積み、現職。
知的財産権およびテクノロジー関連の取引・紛争解決を専門とする。ライセンス交渉、ジョイントベンチャー設立、M&Aに伴うIPデューデリジェンスのほか、日本特許庁や公正取引委員会、裁判所における係争対応まで幅広く従事。複数の事業会社でのインハウス経験を活かし、製品開発から内部調査まで、企業の法務機能を多角的に支援している。
所属:日本ライセンス協会、著作権法学会、日本商標協会等
社外役職: 株式会社Global Vascular、株式会社Pivot 社外監査役